ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 分類でさがす > くらしの情報 > ライフインデックス > 生涯学習 > 歴史民俗資料館 > 三春藩初代藩主・秋田俊季|Web資料館|三春町歴史民俗資料館
トップページ > 分類でさがす > くらしの情報 > 文化・生涯学習 > 生涯学習施設 > 歴史民俗資料館 > 三春藩初代藩主・秋田俊季|Web資料館|三春町歴史民俗資料館
ナビゲーション ←もくじメニューを表示します。
歴史民俗資料館について
利用案内
自由民権記念館
郷土人形館
講座案内
刊行物案内
三春の文化財
Web資料館
もくじを閉じる

三春藩初代藩主・秋田俊季|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新
 

Web資料館

三春藩主秋田氏

三春藩初代藩主・秋田俊季

 初代藩主秋田俊季(としすえ)は、慶長3(1598)年、父実季(さねすえ)、母細川昭元娘の間に誕生しました。俊季の母は後に円光院と呼ばれた女性で、江戸幕府二代将軍徳川秀忠夫人の従姉妹にあたりました。このため、三代将軍徳川家光と俊季は又従兄弟の関係となり、俊季は幼い時期から家光に接していたようです。

 さて、俊季が生まれた当時、父実季は秋田土崎湊城主(現在の秋田市)でしたが、慶長5(1600)年、常陸宍戸五万石に移されました。実季が宍戸に移された後、そして俊季が相応の年齢に達した頃から、父子の関係は険悪なものとなっていきました。その理由はさまざまあるようですが、おそらく、実季の私生活、特に金銭感覚に理由があったようです。

 こうした中、実季の幕府へ対する関与の仕方にも問題が発生し、寛永8(1631)年実季は領地を取り上げられ、伊勢国朝熊(現在の三重県鈴鹿市)に蟄居させられることになったのです。実季改易により、本来なら俊季も罰を受けるのですが、将軍家光との関係からか、俊季には何の罰も与えられず、実季の旧領宍戸五万石をそのまま与えられました。しかも、正保2(1645)年8月には、五千石の加増を得て三春藩主となります。父が罪を得ていたにもかかわらず、俊季が優遇されていたことがわかる出来事です。

 俊季は、三春藩主になってわずか3年半、ほとんど三春に住むことなく、慶安2(1649)年正月3日、52歳で死去しました。法号は真如院殿実岩常固大居士、墓は荒町の高乾院にあります。

(藤井 康)

一覧へ    △このページの先頭へ