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愛姫|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月18日更新
 

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三春人物誌

愛姫

 三春町の歴史を語る時、そこには数多くの人物が登場します。そうした人物を取り上げ、簡単にご紹介したいと思います。第1回目は、陽徳院=愛姫をご紹介します。

 愛姫は、三春の歴史に登場する女性として最も有名な人物であり、多くの人々が関心を持っている人物でもあります。基本的なことから確認していきましょう。

 名前は「めご」姫と読みます。仙台藩伊達家の歴史書「伊達治家記録」天正7(1579)年冬の条は、愛姫と伊達政宗の結婚を記していますが、そこには「田村大膳大夫殿坂上清顕ノ嫡女愛 訓女吾 姫御入輿」と書かれており、読みが「女吾」、つまり「めご」だったことが示されています。

 生まれた年を書いた史料はありませんが、亡くなったのが承応2(1653)年1月24日、数え年86歳の時ですから、そこから逆算すると、永禄11(1568)年誕生となります。父親は戦国大名田村氏の三代目清顕、母親は戦国大名相馬顕胤の娘で、愛姫は一人っ子です。

 愛姫は、「独眼竜」伊達政宗の正室ですが、若い時期には仲違いをしたこともあったようで、当初は夫婦仲も良くはなかったようです。しかし、二人の関係は次第に睦まじいものとなり、4人(一女三男)の子宝に恵まれました。

 二人の関係を示す最も興味深い出来事は、寛永13(1636)年5月24日の政宗死去に関わるものです。

 「伊達家治家記録」によると、政宗の病が重くなるにしたがい、愛姫は何度もお見舞いに行きたいと願ったそうです。しかし、政宗はその願いを聞き入れませんでした。その理由は、もし病気が良くなるようなら愛姫に会いたいが、病気は重くなるばかりであり、そのような自分の姿を見せたくはない、というものでした。

 死に向かう自分の姿を、最愛の妻に見せたくない、悲しませたくないという政宗の心情と、それを受け入れ、以後二度と会いたいとは言わなかったという愛姫。両者の思いの深さを感じさせます。

(藤井 康)

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