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田村氏時代の三春|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新
 

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三春城の500年

田村氏時代の三春

田村氏時代の三春城下絵図
 田村氏時代の三春城下絵図

 今回は、田村氏が三春を治めていた戦国時代の町の様子を想像してみましょう。

 現在、三春城下の絵図が数点残されていますが、残念ながら、江戸時代になってから描かれたものなので、正確とはいえません。しかし、城を中心として、家来の屋敷や寺社、町が並んでいたおおよその様子は想像されます。

 当時から現在まで続いている寺院としては、三春で最も古い法蔵寺、田村家の菩提寺である福聚寺、会下谷にあった天沢寺があげられます。ほかには、現在の龍穏院の場所に大慶寺、高乾院の場所に正根寺という寺があり、神社では、大元帥明王(田村大元神社)や牛頭天王(八雲神社)などがありました。

 こうした寺社は谷の奥に立地し、谷ごとに門前町が発展しました。伝えられている地名などから、法蔵寺は道場町、福聚寺は御免町、大元帥明王は明王町(山中町)、牛頭天王は天王前あるいは天王下がそれに当たります。

 南町の発掘調査では、田村氏が三春に入った16世紀初め頃に、川を埋め立てて町を築いた跡が発見され、そこにはたくさんの炉の跡や金属のかすが出土したことから、金属の生産に従事した職人の町であったことがわかりました。また、三春交流館「まほら」建設地の発掘調査では、江戸時代の堀が発見されていますが、この堀の外にあたる西側では戦国時代の遺物が出土しますが、東側では江戸時代以降の遺跡しか発見されませんでした。

 こうしたことから、城山を囲む東部と、荒町・中町・八幡町など西部との間には、空き地があったことがわかり、東と西では町の性格が違っていた可能性があります。東部は、田村氏の大名権力に直属する町や寺社で、西部は門前町ごとに寺社勢力が一定の権限をもって支配していた町と考えられ、田村氏は三春町内について軍事的には支配していても、政治・経済面での支配は完全ではなかったと推測されます。

(平田 禎文)

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