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三春藩三代藩主・秋田輝季〔1〕|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新
 

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三春藩主秋田氏

三春藩三代藩主・秋田輝季〔1〕

 秋田輝季(てるすえ)は、慶安3(1650)年に、父を秋田盛季、母を上野国高崎(現在の群馬県高崎市)藩主安藤重長の娘として誕生しました。また、輝季の正室は、若狭国小浜(現在の福井県小浜市)藩主酒井忠直の娘で、忠直の家臣に秋田実季の弟季通(すえみち)の子孫がいましたので、そうした関係から輝季との縁組みが成立したのかもしれません。

 さて、輝季が家督相続したのは延宝4(1676)年3月6日で、その治世は父と同じく、藩財政の再建と幕府への奉公につきるものでした。ところで、輝季の時代には、その後の三春藩を考える上で、三つの重要な出来事がありました。

 一つ目は、馬種の改良と売上金の上納制度です。これ以前の田村郡ではあまり良い馬が成育せず、仙台辺りから良い馬を購入していました。しかし、輝季時代に仙台より良馬を購入し、これを種馬として馬種の改良が行われ、それが後に「三春駒」として有名になったのです。

 二つ目は、譜代大名格への復帰です。江戸時代の大名が親藩、譜代、外様に分けられることはご存知の方も多いと思いますが、秋田氏は本来外様大名であるはずなのに、初代秋田俊季が将軍家光と又従兄弟にあたるため、俊季は譜代大名並に奉公し、これが秋田氏を譜代大名格にしたのです。しかし、二代盛季が病弱で譜代並の働きがなかったため、いつのまにか元の外様大名扱いにされ、輝季が藩主になった時も外様として扱われていたわけです。

 輝季はこれを嘆き、幕府へいろいろと嘆願した結果、貞享元(1684)年12月30日、幕府より再度譜代大名に命じられたのです。ただし、これを譜代大名になったとするのは問題があると考えますので、今のところ譜代大名格になったと考えています。この後、秋田氏歴代藩主が譜代大名格として続いたかを確認するのは困難ですが、江戸城での詰め間が譜代大名たちと同じ部屋だったことから、一応最後まで譜代大名として継続したと考えておきます。

 最後に三つ目ですが、これは輝季の後継者問題です。この点は次回以降に書くことといたします。

(藤井 康)

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