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河野広中|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月18日更新
 

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三春人物誌

河野広中

 平成18年春、三春町役場脇の桜谷入り口に河野広中の銅像が移設され、あわせて自由民権発祥の地記念碑が建立されました。今回は、日本近代政治史にその名をとどめた、河野広中をご紹介します。

 広中は、嘉永2(1849)年7月7日、三春城下大町で生まれました。河野家は、町検断春山家の分家で、広中の祖父の時、藩より知行を与えられて郷士となり、本姓である河野を苗字としました。

 広中は、幼い時に父を亡くし、自分も里子や奉公にでるなど、つらい幼年時代をすごしました。明治元(1868)年の戊辰戦争では、兄広胖(ひろやす)とともに、三春藩降伏に奔走し、無血開城を成し遂げています。その後、県内各地で行政官等の仕事をし、その過程で自由民権思想に目覚めたとされ、三春出身者をはじめ、県内の多くの運動家とともに、自由民権運動に奔走することとなったのです。

 自由民権運動家・政党政治家としての広中の業績は、数多くの図書に記され、特に高橋哲夫氏の著書に詳しく書かれていますので、ここではあまり知られていないエピソードをご紹介しましょう。

 明治5(1872)年、三春大神宮の祭礼に、荒町から長獅子を、新町から三匹獅子を奉納したいという願書が磐前県(現在の福島県の成立は明治9年)の出張所に提出されました。この奉納は、例年のことなので、出張所でも許可することとしましたが、当時芦沢村で神主をしていた広中が、芦沢村の村社の獅子を「仏具」として廃棄したので、三春で獅子を奉納されては困ると怒鳴り込んできたそうです。

 広中は、三春の神主や町役人を集め、獅子は「仏具」、つまり仏教道具だから神社に奉納してはならないことを説き、出張所へも申し出ましたが、役人はなかなかこれを認めず、神主や町役人も、広中の強情に愛想をつかしたといいます。

 この事件は、広中と町役人を取り持った人の切腹(軽症)騒ぎもあり、結局は荒町・新町の人が自発的に奉納を取りやめ、収束したのです。

(藤井 康)

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