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松下長綱|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月18日更新

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三春人物誌

松下長綱

 平成18年のNHK大河ドラマは、江戸時代、土佐藩主として続いた山内家の初代、一豊夫婦を題材にしていました。ところで、この山内家が、江戸時代初期の三春藩主松下長綱と縁戚関係にあり、たいへん深いつながりをもっていたことをご存知でしょうか。今回は、松下長綱と山内家の関係について、ご紹介しましょう。

 松下家と山内家の関係は、豊臣秀吉の時代、両家が遠江国(現在の静岡県)に領地を与えられ、親しくしていたことに始まります。当時の松下家の当主は、加兵衛之綱(長綱の祖父)という人物です。豊臣秀吉が幼い頃、之綱の下で足軽をし、たいへんかわいがられたという由緒から、天下人となった秀吉が旧恩に報いるため、之綱に遠江久野城(袋井市)を与え、大名としたのです。そして、その後しばらくして、山内一豊も同国掛川城(掛川市)を与えられ、二人は領地を接する大名となったのです。

 この縁により、松下長綱と山内忠義(一豊の養子で二代藩主)の娘が婚姻し、両家は縁戚となったのです。松下長綱の妻きよ姫は、山内忠義と正室の間に生まれました。母は伊勢国桑名藩主(現在の三重県桑名市)松平定勝の娘で、定勝が徳川家康の異父弟にあたることから、きよ姫の母は家康の姪となり、家康の養女として忠義と結婚したのです。つまり、きよ姫の母は、徳川将軍家の血を引く人物であり、きよ姫自身、そうした血を受け継いでいたのです。

 徳川家の縁者である女性を妻とした長綱は、三春藩主にあること16年、正保元(1644)年に改易されました。その理由は「発狂」であり、舅山内忠義の決断により、領地を幕府に返上することとなったのです。

 この後、長綱は忠義の領地である高知に幽閉され、万治元(1658)年9月10日、49歳で亡くなりました。長綱の墓所は、現在も高知市の真如寺にありますが、三春の州伝寺にも、お墓が建てられています。

 松下家と山内家の関係は、歴史民俗資料館発行の『松下氏 三春への道』に詳しく書かれていますので、ぜひお読みください。

(藤井 康)

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