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政宗の三春城入城|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新
 

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三春城の500年

政宗の三春城入城

 天正16(1588)年8月、伊達政宗が三春へやってきます。これは、5月に相馬義胤の三春入城を拒絶し、その後、佐竹・葦名連合軍との郡山合戦に伊達家と共に勝利したことで、田村家中が伊達へ大きく傾いた結果です。

 政宗が三春へ来る前に、政宗の片腕である片倉小十郎が先に三春に入って、政宗を迎える準備をします。まず、3日、相馬家出身の清顕夫人を船引城へ移し、三春城には清顕の甥の孫七郎(宗顕)が入りました。そして、4日の晩には、田村梅雪斎(田村隆顕の弟)など相馬派の家臣38人が、三春城下の屋敷を引き払って小野城へ退きました。

 5日、政宗は宮守城(岩代町)から馬で三春へ入りました。途中まで片倉小十郎が迎えに行き、三春の町の入口で、田村月斎(田村義顕の弟で伊達派の長老)親子や橋本刑部ら田村家重臣たちが出迎えました。

東館跡
 東館跡

 そして、政宗が三春城に入ると、すぐに主だった田村家臣団と座敷で一同に面会し、その後、東館に出かけました。この東館は、現在の田村大元神社裏の山と考えられ、ここには、田村隆顕夫人で伊達稙宗の娘(政宗の大叔母)でもある小宰相が暮らしていました。小宰相は、政宗が生まれる前に田村家へ嫁いでいましたので、二人は初対面ですが、政宗にとって田村家中では唯一の近親者で気が合ったのか、42日間の滞在中に15回も東館を訪れています。

 政宗は三春在城中に、田村家の当主を宗顕とする傀儡政権を打ちたて、相馬派の家臣を一掃する田村仕置きを行うと同時に、先の相馬との戦いで相馬勢が籠った石沢城(田村市船引町)を破却(城の主な施設を壊すこと)し、三春の要害(掘や土塁など)を2回点検しています。平成14年に三春城の東側で発見された石積み石垣は、この時に整備された可能性もあります。

 この田村仕置きで、田村地方は実質的に伊達領となり、滞在中の外交交渉により県中地区をほぼ勢力下に治めたことで、政宗の南奥羽制覇の基礎が固まりました。

(平田 禎文)

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