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三春藩五代藩主 秋田延季・六代藩主 秋田定季|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新
 

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三春藩主秋田氏

三春藩五代藩主 秋田延季・六代藩主 秋田定季

 今回は、五代延季(のぶすえ)・六代定季(さだすえ)二人の藩主についてご紹介します。二人はともに四代藩主頼季の子どもで、延季が享保6(1721)年、定季が享保10(1725)年頃に生まれました。

 延季は、頼季の嫡子になった時に治季(はるすえ)と名乗り、その後将軍家重嫡子家治に遠慮して延季と改め、さらに隠居後に太季(たかすえ)と名乗っていますから、三春藩主中でも最も名前の多い殿様です。家督を継いだのは寛保3(1743)年で、わずか9年の治世の後、宝暦元(1751)年に隠居し、定季に家督を譲りました。

 定季は、寛延2(1749)年に延季の養子となり、宝暦元年に藩主となりました。しかし、わずか7年の短い治世の後、宝暦7(1757)年、32歳で死去しました。

 二人の藩主は、いずれも10年に満たない治世で終わっており、特に記すべき事績も残していません。ただ、いくつかの興味深い史実がありますので、その点をご紹介します。

 延季の公的な誕生年は享保3(1718)年です。しかし、実際にはその3年後に生まれたことが確認されています。なぜこのようなことをしたのでしょうか。

 江戸時代、大名に子どもが生まれた場合、それを江戸幕府へ届け出る義務が課せられていました。これは、いずれ家督相続をしたり、どこかの大名(あるいは子ども)と結婚したりするためには、幕府に届け出た人しか許可されなかったからです。

 延季は、父頼季時代のさまざまな混乱の中で誕生しました。そのため、本当の誕生年で届け出ては、何らかの問題が発生した場合に、藩主になれないおそれがあったのです。これが、誕生年のさば読みにつながったわけです。

 もう一つは、延季の嫡男倩季(よしすえ)が宝暦元年に生まれていることから、なぜ延季が倩季の成長を待たず、弟定季に家督相続を譲ったのかという疑問です。今のところこれに明確な回答は出ませんが、延季は安永2(1773)年まで生きていますから、病気などによる理由とは考えられません。おそらくは何らかの理由があり、定季に家督を譲ったのでしょう。この辺りは、今後探っていきたいと思います。なお、延季の法名は天稟院殿令徳永顕大居士、定季は恭徳院殿仁則惟敬大居士で、ともに高乾院にお墓があります。

(藤井 康)

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