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徳田研山|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新
 

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三春人物誌

徳田研山

 城下町三春には、数多くの文人墨客が生まれました。その中には、全国的に名をはせた人物もいましたが、ほとんどの人が全国的には無名の人でした。今回紹介する徳田研山も、全国的には無名の人物ですが、三春生まれの文化人として、忘れることのできない人物です。しかも、「徳田研山」という人物は、初代好時、二代好展、三代甘露と、三代にわたって使われた画号で、いずれも画人として近隣に知られた人物だったのです。ここでは、初代研山好時をご紹介しましょう。

 徳田好時は、三春藩士の家に生まれました。幼い時に父を失い、弟とともに、母の手一つで育てられたといいます。このような中で成長した好時は、馬術を得意とし、寛政4(1792)年10月、藩の馬役見習いとなり、その後馬術師範となりました。そして、その技にみがきをかけるため、江戸へ出て、久留米藩馬術師範城隆元に師事し、ついに大坪流馬術の免許皆伝にいたったのです。好時は、馬術の修練により藩の駒奉行にのぼり、実直な人柄により留守居役という、重職にも就任したのです。

絵馬
 馬頭観音奉納絵馬

 このように、武士の表芸である馬術を極め、藩の重職にも任じられた好時は、一方で画業にも親しみ、幕府の画師について武者絵を研究し、馬の絵もよく描いたとされます。好時は、「絵を学ぶためには、手本に頼ってばかりではだめだ。また、師匠の指導に頼ってばかりでもだめだ。実物を描くこと、つまり『活画』を学ばなければ、その真を得たことにはならない。私は、山野を歩き回り、馬が走り回る姿、子馬の乳を飲む様子等を見て絵を描いた。これは手本等によって練習して得られるものではない」と語ったそうです。

 本業に関わる馬術で奥義を極めただけではなく、裏芸と言うべき画業において、これだけの鍛錬をつんだ好時の絵は、現在では失われた「三春駒」の、ありし日の姿を彷彿とさせるものです。

 好時は、天保2(1831)年正月24日、六十余歳で亡くなりました。墓所は龍穏院にあります。

(藤井 康)

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