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秋田俊季の入部|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新
 

Web資料館

三春城の500年

秋田俊季の入部

 松下氏を改易すると、幕府は寺社奉行の安藤重長を城の請け取りに遣わし、引渡し後は、相馬氏が在番しました。

 翌正保2(1645)年7月10日、常陸宍戸藩主秋田俊季に、三春所替えの命令が出され、俊季は急いで江戸から宍戸へ戻り、8月5日に宍戸を発ち、8日には三春に到着して、城を請け取りました。

 三春に入った俊季は、城の使い方を大きく変えます。それまでの藩主は、山上の本丸で暮らしていましたが、俊季は山城を嫌って、ふもと(現在の三春小学校)に、新たに御殿を建設しました。このため、本丸は正月や節句の儀式にしか使われなくなります。当時の様子を、三春城起こし絵図から、見ていきましょう。

 本丸は、東側の上段と西側の下段に、堀と石垣で分けられ、北に張り出した部分は杉の丸と呼ばれました。

 下段には、南に表門、北に裏門があり、ともに両脇に石垣を備えた二階建ての建物で、特に裏門は、石垣の上に建物を渡した櫓門と呼ばれる豪壮な建築です。ほかには、三階櫓、長屋、風呂屋などがあり、天守にあたる三階櫓は、高さが約13メートルあります。上段には藩主が暮らす御座の間と、藩士が一堂に会する広間、台所があります。この時代、本丸で暮らしていないのに、御座の間があるのは、前からあった建物を利用したためです。これらは、主に城下からよく見える山の縁に建っています。

 また、裏門のさらに外には裏口となる搦手門があり、近くに焔硝穴倉という火薬の原料を収めた横穴があります。ほかにも、本丸があった土蔵や長屋には、非常時に備えて、武器や燃料を蓄えており、さらに、三階櫓には、将軍からいただいた領地目録などが保管されていました。

 このように、天然の要害に築かれた戦国の山城は、平和な時代になると、藩主と家臣が主従関係を確認する儀式を行い、将軍から与えられた権力を保管する場所に変わります。これは、城が戦争のための施設から、藩主、さらに徳川幕府の権威の象徴へと変化したことを意味します。

(平田 禎文)

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