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加藤・松下氏の旧臣たち|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月18日更新

Web資料館

春陽の士

加藤・松下氏の旧臣たち

加藤嘉明の娘で松下長綱の母星覚院の墓(北町・光岩寺)
加藤嘉明の娘で松下長綱の母星覚院の墓(北町・光岩寺)

 秋田氏が入部する前の三春は、当時の会津藩主加藤氏の一族が治めていました。

 1627年正月に前の会津藩主蒲生忠郷が亡くなると、翌年正月に、三春城主加藤明利と二本松城主松下長綱は入れ替えとなります。さらに、1643年に加藤家はお家騒動で改易され、翌年、長綱乱心ということで松下家も改易されます。このため、加藤・松下氏の家臣の多くが浪人し、新たに三春藩主となった秋田家へも仕官しました。

 最も早く秋田家に仕官したのは藪市郎左衛門で、父親の与左衛門が嘉昭の元で朝鮮に出陣し、茶湯者として秋田家に仕えますが、一代で秋田家を去ります。次に明利の重臣の小野寺・原氏が、続いて明成の家臣の三坂・草川氏が宍戸の秋田家に仕官します。そして、秋田氏が三春へ移ると、松下家旧臣では天野・代重・市川・不破氏が仕官します。

 秋田氏の宍戸から三春への転封は、幕府が水戸周辺で新たな藩領の設定を計画したのが原因です。その代わりの領地として、三春や福知山(兵庫県)などが挙げられましたが、三春は米価が日本一安いところだという情報があったため、三春に決めたといわれます。こうした情報をもたらしたのは、三春の事情に詳しい明利の旧臣である小野寺・原両氏と考えられます。特に小野寺氏は主に藩の財政を担当し、知行五百石で代々老職を勤め、一時は秋田姓を賜ります。

 ちなみに、秋田氏と同時に笠間から赤穂(兵庫県)へ移されたのが、忠臣蔵で有名な浅野長矩の祖父長直でした。

(平田 禎文)

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