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三春藩八代藩主 秋田謐季・九代藩主 秋田孝季|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新
 

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三春藩主秋田氏

三春藩八代藩主 秋田謐季・九代藩主 秋田孝季

 今回は、八代藩主謐季(やすすえ)と九代藩主孝季(のりすえ)についてご紹介します。謐季は、七代藩主倩季の次男として安永7(1778)年に誕生しました。この年、兄東太郎がわずか3歳で死去したため、謐季は生まれた時から次期藩主として養育されたわけです。

 謐季は、父が隠居した寛政9(1797)年7月に藩主となりましたが、享和3(1803)年には病気のため隠居し、名前を長季(つねすえ)と改め、文化8(1811)年7月、34歳の若さで死去してしまいました。謐季の治世はわずか6年で、ほとんど活躍することもできず、際立った事績も伝わっていないようです。謐季の法名は大仰院殿法鑑高輪大居士、墓所は歴代藩主中唯一龍穏院にあります。

 九代藩主孝季は、天明6(1786)年、倩季の三男として誕生しました。兄謐季が病のため急に隠居したため、その後を継いで藩主に就任しました。孝季の時代は、父倩季時代以来の赤字財政との戦いで、藩政改革一筋の治世だったといえます。孝季は、天保3(1832)年に隠居し、同15(1844)年死去、享年59歳でした。法名は大雄院殿英徳文明大居士、墓所は高乾院にあります。

 ところで、秋田謐季は、なぜ一人だけ龍穏院に葬られたのでしょうか。現在、この理由を明らかにすることはできませんが、逆にいえば、なぜ秋田家の菩提寺は高乾院と龍穏院の二か寺あるのでしょうか。歴代藩主のほとんどが高乾院に葬られていることからも、その訳を明らかにしておく必要があります。この点については、特別展図録(平成15年度春季特別展)の中で詳しく書きたいと思いますが、ここで簡単に触れておきます。

 初代藩主秋田俊季(としすえ)の父実季(さねすえ)の手紙によれば、龍穏院はもともと曹洞宗だった秋田家の墓所として、それ以前の菩提寺を合わせて実季が創建した寺で、高乾院は、曹洞宗から臨済宗妙心寺派に宗派を替えた実季が、自分以後の秋田氏墓所として創建した寺だったのです。ここから、菩提寺が二か寺ある理由も、歴代藩主のほとんどが高乾院に葬られた理由も明白になるのです。

(藤井 康)

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