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円光院|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月18日更新
 

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三春人物誌

円光院

 三春藩初代藩主秋田俊季が、江戸幕府三代将軍徳川家光と又従兄弟の関係にあったという事実をご存知でしょうか。今回は、秋田家の華やかな血縁関係の源である、一人の女性をご紹介しましょう

 秋田俊季の父実季は、天正18(1590)年、豊臣秀吉の支配下に入りました。この時、奥羽(現在の東北地方)の名族安東氏の当主であった実季は14歳、まだ正室を迎えてはいませんでした。このような実季に対し、おそらく、豊臣秀吉の肝いりで嫁いだのが、円光院だったのです。円光院という名は、没後の戒名のもので、生前の名前は伝わっていません。また、その人生の大半も詳しくは分かっていません。現在明らかにできるのは、次のことのみです。

 円光院の父は、室町幕府の管領(将軍に次ぐ権力者)を代々勤めた細川氏の当主昭元です。母は、織田信長の妹お犬の方で、有名なお市の方の妹です。父昭元が没落したため、円光院は母方の縁により、豊臣秀吉側室淀君に扶養されたと言われ、実季と結婚しました。円光院と実季の間には、俊季と季信という二人の男子が生まれましたが、円光院は慶長13(1608)年8月17日、おそらく20歳代後半で死去しました。墓所は未詳です。

 このように、円光院自身の経歴はほとんど明らかにできませんし、なにより、円光院自身は三春とはまったく縁のない人物だったのです。しかし、円光院は、秋田氏にとって、これ以上ない大きな財産を残しました。それが、将軍家との血縁関係です。

 円光院は、母方の血縁で、前述の淀君、江戸幕府二代将軍徳川秀忠正室崇源院と従兄弟にあたりました。そのため、円光院の息子である俊季・季信は、豊臣秀吉の後継ぎ秀頼、江戸幕府三代将軍徳川家光と又従兄弟の関係になったのです。そして、この関係により、俊季らは幼少時から江戸城に登り、家光に親しく接していたといいます。

 以上のように、円光院の出自を通じて形成された徳川家との縁により、秋田家は、本来外様大名だったにもかかわらず、譜代大名並みの家格となったのです。「三春人物誌」に加える理由です。

(藤井 康)

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