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北野神社となで牛|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新

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まちかど文化財

北野神社となで牛

 北町にある北野神社は、「天神さま」で有名な菅原道真を祭神とする神社です。

 現在では「学問の神様」ともいわれる道真ですが、もともとは平安時代の政治家で、時の権力者藤原氏に対抗し、右大臣という当時のナンバー2の地位にまで登りつめた人物です。しかし、藤原氏の陰謀により、道真はその地位を追われ、九州の大宰府に流されることになったのです。

 大宰府に流され、失意の内に道真は死去しましたが、その後、道真を追い落とした藤原氏には不幸が続き、また京都にも多くの変異が起こりました。そのため、時の天皇は道真の復権を図り、神として祭ることでその霊をなぐさめることにしました。これが九州の大宰府天満宮、京都の北野神社のはじまりで、道真が学者としても一流だったため、学問の神様とされたのです。

 北町の北野神社は、もともとは城山北西の中腹にありました。このため、その近くの橋を天神橋と呼び、現在でも天神橋と呼ばれる地区があります。そして、秋田家が三春藩主になった後に現在地へ移されました。さらに、名称も天満宮・天神社と変わり、明治12(1879)年に北野神社となりました。

なで牛
 なで牛

 ところで、北野神社の境内には、「なで牛」という牛の石像があります。これは、道真の遺体を墓所へ運ぶ際、天満宮がある場所で車を引く牛が動かなくなったため、そこに道真を葬ったという伝説に由来するものです。

 北野神社のなで牛は、慶応元(1865)年に制作されたもので、近江国(現在の滋賀県)の商人が奉納したものです。美濃国金生山(現在の岐阜県池田町・大垣市)で産出した石を、同国赤坂(大垣市)の石工が加工しています。このことから、完成品を美濃から三春へ運んだことが分かります。

 なお、学業成就には牛の角を、病気の平癒には腹をなでるとよいとされています。

(藤井 康)

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