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田村四十八館を歩く〔6〕-熊耳館-|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新
 

Web資料館

城と館

田村四十八館を歩く〔6〕-熊耳館-

 国道288号線を船引へ向かうと、要田方向へ分岐する交差点があります。この北西の大きな丘が熊耳館(くまがみたて)跡です。この館跡は、三春城から最も近い館のひとつで、規模も大きく、三春城を防衛する上で重要な支城です。江戸時代の相馬街道は、三春を出て、この館の麓をぐるりと迂回して相馬へ向かっており、戦国時代も同じ道筋だったと推測されます。

 丘の上には、広い平場があり、平場を区切る深さ2mを超える大きな堀切も二箇所に残っています。近くには、南北朝時代の年号の記された石製供養塔がふたつ残されており、その頃からこの地域の中心的な場であったと想像されます。

 江戸時代に館跡を調査した記録に、熊耳館は「舘主熊耳太郎衛門」とあります。この熊耳氏について、江戸時代の歴史書には、田村清顕が家督相続する際に、熊耳掃部助らを旗下に属させたとあります。そして、天正16(1588)年に岩代町の宮森城に在陣した伊達政宗のもとへ挨拶にいった田村家臣の中に熊耳氏がいます。さらに、清顕の死後、家臣団の結束を固めるために作られた連判状と考えられる文書には、御幕下面々のひとりとして「熊耳又十郎」の名をみることができ、当時は田村家臣団の一員であったことがわかります。

 こうしたことから、南北朝時代から、この地域を治めていた領主が、田村氏の最盛期である清顕の時代に、田村氏の家臣となり、その居館も三春城の支城のひとつとして利用されたと考えられます。

(平田禎文)

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