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秋田家家紋の話|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新

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秋田家家紋の話

「檜扇に違い鷲の羽」
 「檜扇に違い鷲の羽」
「獅子に牡丹」
 「獅子に牡丹」

 みなさんよくご存知のように、これまで、三春藩主秋田家の家紋は「檜扇に違い鷹の羽」とされてきました。この紋は、檜木の薄い片を重ねて作った貴族用の扇の中央に、鷹の羽を二枚交差させたものです。

 ところで、最近秋田家の系図を見ていたところ、そこには「家紋 檜扇鷲羽 獅子牡丹」と記されていました。この史料は、江戸時代の終わり頃、江戸幕府が諸大名や旗本から系図を提出させたものの写しと思われるので、内容に間違いがあるとは思われません。さらに、ここには、この紋になった理由が以下のように記されています。

 建久年間(ちょうど鎌倉幕府ができた頃)、秋田家の先祖安東太郎貞秀は、何らかの功により後鳥羽上皇に召し出されました。この時、上皇は、ちょうど朝鮮国から到来した鷲の羽根二枚を檜扇に載せ貞秀に与えました。それまで、秋田家(安東家)の家紋は「獅子に牡丹」でしたが、この後、「檜扇に違い鷲の羽」が家紋になったのです。

 この話が事実かどうかは別として、これだけの由来を伝えているのですから、鷹の羽ではなく、鷲の羽と考えて間違いないでしょう。


 現在、秋田家の系図は数種残されています。有名なものは、秋田実季が作成した「秋田家系図」ですが、中世の段階で分家した各家に伝わる系図(例えば「下国生駒安倍姓之家譜」や「藤崎系図」)等もあります。

 「下国生駒安倍姓之家譜」は、中世段階で秋田家(当時は安東家)から分家し、江戸時代松前藩(北海道)家臣となった下国家に伝わる系図です。そこには「家之紋檜扇鷹羽」と記され、「鷹」の羽が家紋とされています。この他いくつかの系図に「鷹」の羽が家紋だと書かれているものがあります。つまり、「鷹」の羽が家紋だとする史料も実際にはあるのです。

 それでは、鷲と鷹、どちらが三春藩主秋田家の家紋なのでしょうか。それは、ここで度々「三春藩主」と付けているのに関係しています。

 秋田実季が作成した「秋田家系図」中、「貞秀」という人物の箇所には以下の記述がされています。

貞秀
安東太郎。貞秀以来、安東太郎を当家の仮名とする。父祖貞任の風儀があり、勇敢な武将である。建久の頃、後鳥羽上皇に召し出され、朝鮮より届けられた奇異な鷲の羽二枚を、檜扇に載せて拝領する。以後、これを家紋とする。麁子は鷹の羽とする。

 ここに記されているように、実季作成の系図では、後鳥羽上皇との由緒により、本家は「鷲」の羽を使用し、「麁子(そし)」、つまり分家は「鷹」の羽を使用することになったとしているのです。「鷹」の羽が家紋だとする系図を持つ家がすべて分家であること、本家の三春藩主秋田家が「鷲」の羽を家紋とし、これは本家のみのものだと記したことは、当時の本家・分家意識を考える上でおもしろい点だと思われます。

 これまで、三春藩主秋田家の家紋は「檜扇に違い鷹の羽」とされてきました。これは、三春藩士の秋田家分家の家紋と、藩主秋田家の家紋を混乱したためと思われます。私たちは、このような基礎的なことに案外気付いていなかったのかもしれません。

(藤井 康)

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