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三春城の開城と開放|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月14日更新
 

Web資料館

三春城の500年

三春城の開城と開放

 慶応4(1868)年正月、戊辰戦争が起こり、4月の江戸開城後、新政府軍は列藩同盟を結んで抵抗する東北地方へ向かいます。7月に三春藩は降伏して三春に新政府軍が入り、城は新たな政治権力に対し開城されました。

 翌明治2年の版籍奉還により、これまで一体であった秋田家の家政と三春藩の藩政が分離させられ、藩の役所であった会所(現在の三春交流館)の機能を御殿(三春小学校下のグラウンド)に移して公廨所とし、藩主秋田映季は藩知事として、御殿から花畑御殿(三春小学校上のグラウンド)へ居所を移し、山の上の本城は閉鎖されました。この年、三春藩知事は明治政府に「三春城は天明の大火以降は、堀も水も砦程度の城となりました。しかし、天然の要害なので非常時には利用できるかもしれません。建築物を維持するにはお金がかかるので、櫓や門、塀をすべて撤去し、桑や竹・樹木などを植えて、財政の一助としたい」と嘆願しています。

 そして、明治5年には廃藩置県が実施され、三春藩は三春県となり、三春城は廃城となりました。藩の役所が並んでいた旧追手前(上大町)の土地、建物、石垣などの民間への払い下げが開始され、6年には旧御殿の屋敷、物見家、能舞台、土蔵、門などの建物が売却されます。7年になると御殿・城山の土地と、本丸の表・裏門、長屋、三階櫓といった建物と、敷石、石段、石垣が石材として売却され、城の姿はほぼ失われました。

 その後、大正11年に本丸跡を公園にすることとなり、三春町消防組が総動員され、大規模な整地作業が行われました。裏門枡形や三階櫓の土台も、この時に崩されてなくなったと思われます。その後、本丸や二の丸には桜が植えられ、公園として開放され、周辺も散策路などに利用されています。

(平田 禎文)

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