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三春と自由民権運動|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年3月18日更新
 

 

自由民権記念館

三春と自由民権運動

明治時代初めの政府は、鹿児島県・山口県など、明治維新をなしとげた地域の人々を中心とする専制政府でした。明治政府は、社会のしくみを変える改革を次々に進めましたが、多くの人々の生活は良くなりませんでした。また、当時の日本には国会・憲法がなかったため、国民の自由を守り、権利を主張する場もありませんでした。このような時代の中で、自由民権運動は、人々が国政に参加し、自由と権利を獲得することを目的としてはじまり、全国的に広がったのです。

三春町出身の河野広中(こうのひろなか)は、多くの同志たちと民権運動に参加し、三春に政治結社「三師社」、青年活動家を養成する学塾「正道館」を創設し、数多くの運動家を育てました。また、関東・東北地方では例のない政治雑誌「三陽雑誌」を発刊しました。このような活動により、三春は東北地方最大の自由民権運動の中心地となったのです。河野らの活動は、福島県内にとどまらず、わが国最初の政党「自由党」の結成には代表を送り、党の活動にも積極的に関わりました。

このような動きに対し、明治15(1882)年の秋に起こった喜多方事件を好機として、明治政府の力を背景とした福島県令三島通庸は大弾圧を強行し、河野広中・田母野秀顕ら、三春町出身者10名を含む、58名の運動家を逮捕しました。この事件は「福島事件」と呼ばれ、逮捕された人々は、国家に対する罪を犯したとして裁判にかけられました。そして、河野と田母野ら10名が有罪とされたのです。

自由の魁
加波山事件志士遺徳顕彰碑「自由の魁」(大町・磐州通り)

福島事件以後、自由民権運動は全国的に激化しました。福島事件により弾圧を受けた県内民権運動家は、明治17年、栃木県令に就任していた三島の暗殺を志しましたが、最終的に茨城県の加波山で挙兵決起することとしました。「加波山事件」と呼ばれるこの運動に参加したのはわずか16名でしたが、その中には河野広中の甥広体、琴田岩松ら、5名の三春町出身者がいたのです。しかし、この挙兵は失敗し、参加した16名を含む130名もの人々が逮捕されました。そして、三春出身の山口守太郎が獄死し、琴田を含む7名が死刑、河野広体ら5名が無期徒刑となるなど、多数の人が処罰されたのです。

このような運動の高まりの結果、明治政府も国会の開設、憲法の発布を検討するようになりました。明治22年、大日本帝国憲法が発布、翌年には第1回の衆議院選挙が行われ、帝国議会が成立したのです。

福島・加波山事件を通じ、多くの県内自由民権家が逮捕・処罰されました。その中で三春出身者が多数にのぼったことからも、三春町が自由民権運動に積極的に関わったとして知られるのです。

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