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三浦守治と北里柴三郎|歴民コラム|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年7月1日更新

 歴民コラム

三浦守治と北里柴三郎

三浦守治
(左)三浦守治 (右)山極勝三郎

 新千円札の”顔”は、北里柴三郎との発表がありましたが、北里は、三春出身の医学者・三浦守治とも縁があります。三浦守治(医学博士・歌人1857~1916)は、森鴎外らとともに東京大学医学部に学び、最初に病理学教室を開設した人です。

明治政府は、才能ある学生をドイツへ留学させました。森は衛生学、北里は細菌学、そして三浦は病理学を学び、森によれば、ドイツの下宿先で、三浦や北里らと論じ合うこともあったようです。この時には、後の脚気論争など思いもよらないことでした。

 当時、脚気(ビタミンB1の欠乏症)は死に至る病でした。森の先輩である緒方正規は、脚気菌の発見を発表しますが、北里は、それが誤りであることを証明します。一方森は、海軍の高木兼寛による脚気は栄養の問題という説と、高木が提唱する軍への麦飯の導入を激しく非難します。日清・日露戦争で、脚気による軍隊内部での病死者が問題になると、三浦も調査を命じられ、彼は麦飯には効果があると結論付けるのです。

 また明治27年、三浦は八重山諸島の風土病はマラリアであると調査報告を行います。これにより、高熱に苦しむ人々に、特効薬であるキニーネの処方が可能になります。マラリアがハマダラ蚊によって媒介されることは1898年に証明されますが、その翌年、北里と三浦との指導により、伝染経路の特定・予防法の提言などが行われ、マラリア根絶の道が開かれたのです。

(2019年7月 藤井 典子)