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神成季吉|歴民コラム|三春町歴史民俗資料館

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年11月1日更新

歴民コラム

神成季吉(かんなりすえよし)

神成末吉
 神成季吉(田村郡軍人名誉録より)

 明治8年に三春町に生まれた神成季吉は、明治25年東京高等商業学校(一橋大学の前身)に入学、卒業後に日本郵船株式会社に入社しました。学んでいた語学を生かし、ロンドン支店に勤務します。

 しかし、日露戦争が勃発すると会社に頼み込み、日本に戻って従軍します。明治37年6月から 大本宮陸軍幕僚付となり、英語やロシア語の機密文書読解にあたります。奉天会戦の際には、外国の電報解読や通信員との連絡などで、功績は大きかったと評価されました。神成のように恵まれた立場を投げうってまで従軍する人は珍しかったようで、明治37年に刊行された『陸海軍人奇談』中にも、この話が取り上げられています。

 三春町の人々に神成の名前が知られたのは、大正9年に行われた第14回衆議院議員選挙です。河野広中最後の選挙となったこのとき、対抗馬として立憲政友会から出たのが神成季吉でした。この選挙はかなりの接戦となり、町内ではけんかや舌戦が繰り広げられたと言われています。

 河野は当時、たびたび所属政党を変えて批判を浴び、体調不良もあって、選挙に出るつもりではなかった、ともされます。しかし、それでも大きな影響力を持っていた河野に対抗し、別の人間を中央政界へ押し出そうとする勢力が、三春に生まれていたことがうかがえます。

 選挙に敗れた神成は、好況に沸く満州に乗り出し、大連商工会議所の役員等を務め、経済界で活躍したことがわかっています。

(2019年11月  藤井 典子)