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まちかど文化財2 鷹巣大池と大池水徳神社|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

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まちかど文化財 2

鷹巣大池と大池水徳神社

太平洋戦争後まもなくまで、日本の生産業に占める農業の割合は高いものがありました。
その理由は、江戸時代の租税の中心が「米」に置かれていたためで、領主にとっての主要な収入源になっていたからです。
そのため、米の収穫高を上げることは、藩の財政政策上重要なことだったのです。

ところで、三春のような山間部では、農業生産のための水の確保はたいへん難しいものがありました。
大滝根川の近辺は、水の問題はそれほどなかったかもしれませんが、山中の地域では、水の問題は即生産高の問題につながるため、人々が生活していくうえでも重要な課題だったのです。

大池水徳神
 大池水徳神社

さて、今回ご紹介するのは、大字鷹巣字餅田にある「大池」です。
この大池は、水田への水の確保のために造られたもので、三春藩三代藩主秋田輝季の時代、宝永7(1710)年に完成したと伝えられています。

現在の土木技術をもってすれば、この程度の池をつくることはそれほど困難ではないのかもしれませんが、当時の技術からすれば、たいへんな大事業だったといえます。
つまり、これほどの事業を起こしてなお、そこれから得られる米生産に期待していたからにほかならないのです。

ところで、この池の脇に、丈六焼きでつくられた祠が建てられています。
この祠は、「水徳神社」と名付けられたもので、大池の工事が無事成就するよう祈願して、ここに生き埋めにされた犬の霊を祀ったものと伝えられています。
犬の名を「トク」といったため、社名に「徳」の字が使われ、同時に水の徳とたたえた意味が込められたのだと考えられます。

事実かどうかは別として、人の生活にとって水がどれほど重要かを伝える話です。

(2004年5月 藤井 康)

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