まちかど文化財5 実沢の「木匠佐々木家彰徳碑」|Web資料館|三春町歴史民俗資料館
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まちかど文化財 5
実沢の「木匠佐々木家彰徳碑」
木匠佐々木家彰徳碑
大字実沢字永作に、「木匠佐々木家彰徳碑」という石碑があります。
大正8年5月の建立で、狭い道路の脇にあるため、訪れる人も少ないまま残されたような石碑ですが、たいへん興味深い内容が刻まれています。
元禄時代(1688から1703)、佐々木嘉源治という人が実沢にいました。
この人物により、佐々木家は「木匠」の家を始めたようで、以後代々の家業として伝えられ、多くの逸材を輩出し、石碑の建立に至ったのです。
それでは、石碑に記された佐々木家代々の事績をたどってみましょう。
四代忠則は、天保年間、藩校所に建設された講武館の立案構築をし、その優れた技量を藩主より誉められました。
五代忠義は、遠山沢村の薬師堂、岩角山の毘沙門堂の建設をし、六代忠尊は、実沢はもとより、遠方の神社の建設等に関与しています。
七代忠昌は、明治維新により上京し、学習院分校、医科大学診療室、美術学校の建設に参加しました。
八代忠幸は、この石碑が建てられた頃には具体的な成果を挙げてはいないようですが、東京高等工業学校別科に学び、先祖代々の家業を継承したようです。
佐々木家の事績は、実沢近辺の神社建築に留まらず、三春藩の施設、東京の学校施設の建設にまで関与する、たいへん幅広いものでした。
現在では、彼らの業績を知る人もほとんどいないようですが、今後の神社建築の調査には、佐々木家代々の事績を念頭に入れる必要があるのです。
なお、この石碑に記された文章は、河野広中が執筆したものです。
(2004年8月 藤井 康)