春陽の士6 荒木氏|Web資料館|三春町歴史民俗資料館
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春陽の士 6
荒木氏
細川氏とともに、三春の城代・大老を歴任し、御両家と呼ばれたもう一方が荒木氏です。
荒木氏というと、腹切り梅や猫騒動といった伝説の悪役としてご存知の方も多いでしょう。
この話の中で荒木氏は、幼い若殿を殺害して自分の子どもを殿様にしますが、その過程で切腹させられた忠臣滋野多兵衛とその愛猫の霊に呪われます。
当然、実話ではありませんが、こうした話が作られた背景について紹介します。
荒木氏の先祖は、戦国時代に丹波(兵庫県)を治めた荒木村重の一族で、薗部城(京都府園部町)主で荒木氏綱といい、山崎の合戦等で氏綱とその子高兼は討死します。
元々、細川氏と関係が深かったため、高兼の娘瑞峯院は、後に秋田実季の正室となる円光院に仕えました。
その後、瑞峯院が実季との間に二男一女をもうけたことから、瑞峯院の兄弟の高次らも、秋田家に取り立てられます。
そして、高次の子高綱は、実季と瑞峯院の娘を妻に迎えます。
高綱の子高宅は、実季の弟で若狭小浜藩家老の安倍英季の娘と結婚し、その子高村は英季の孫娘を妻とし、秋田家との血縁を深めます。
そして、三代藩主輝季の治世が40年目を迎えた正徳5年(1715)、輝季の嫡男就季が急死します。
この時、既に高村の嫡男は、藩主の分家の旗本家に養子し、秋田季侶と名乗っていました。
そこで、荒木氏を重用した輝季は、季侶を養子に迎えて隠居し、季侶は頼季と改名し四代藩主となりました。
輝季が没するとお家騒動が起き、一度は荒木氏が敗れ、高村は蟄居させられます。
しかし、騒動が幕府に知られると、頼季が閉門させられる大事件となります。
荒木氏の屋敷跡(保健センター)から出土した薙刀
その後も、荒木氏は家中の最高実力者として権勢をふるいますが、当主の多くが若くして亡くなり、度々災害に巻き込まれるなど不幸が続いたことから、猫騒動などの話が生まれたと考えられます。
写真は、荒木家に三人の死者を出した土砂崩れの地層から出土した薙刀です。
銀製の鍔など古い様相が見られ、室町時代から荒木家に伝わる名品であったと思われます。