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まちかど文化財6 渋池の「愛姫小路」|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

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まちかど文化財 6

渋池の「愛姫小路」

愛姫小路
 愛姫小路

わたしたちが文化財と言う場合、多くの方は「古いもの」をイメージしがちです。
しかし、現在作られているものの中からも、次の世代、あるいはその次の世代になると、大切な文化財に変わっていくものがあるのです。

今回取り上げる「愛姫小路(めごひめこみち)」は、現在の段階では文化財というイメージはありませんが、いずれ、そうした認識が生まれる可能性のあるものです。
その意味で、今回これを取り上げ、ちょっと説明をしてみたいと思います。

「愛姫小路」は、字渋池、県道本宮三春線の内側を通る道です。
旧三春中学校・田村高校への通学路にも活用されていますから、ご存知の方も多いと思います。
この道が、「愛姫小路」と名付けられたのは、平成5年のことですから、つい最近のことですが、その名称には次のような由来を結びつけることができます。

戦国時代の三春城主田村清顕の一人娘愛姫は、天正7(1579)年の冬、伊達政宗の元へ嫁いでいきました。
当時、三春城下から北へ行く道は、「愛姫小路」から担橋を経由していくのが一般的でしたから、愛姫の行列も当然ここを経由して米沢へと向かったはずです。

田村家直系唯一の子どもであった愛姫が輿入れすることは、田村家にとって重大な選択だったはずですが、愛姫自身にとっても大きな出来事だったはずです。
その詳細ははぶきますが、一つだけ言えることは、愛姫はこの後二度と三春の地を踏むことがありませんでした。
つまり、「愛姫小路」は、愛姫の人生にとって、大きな一歩を記した、記念の道と言えるのです。

(2004年9月 藤井 康)

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