まちかど文化財9 大町の「守城稲荷」|Web資料館|三春町歴史民俗資料館
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まちかど文化財 10
大町の「守城稲荷」
守城稲荷
守城稲荷は、三春町役場のほぼ正面に鎮座する神社です。
しかし、日ごろ目にしながらも、その由緒などはあまり知られていませんので、ご紹介したいと思います。
この神社の祭神は、「宇賀御魂神(うがのみたまのみこと)」という五穀豊穣の神で、いわゆる稲荷神です。
もともとの由緒は明らかではありませんが、三春藩主秋田家が信仰したとされ、当初三春城内の花畑(三春小学校校舎の辺り)にあったのを、現在に移したとされています。
江戸時代末期の三春城下を描いた資料では、すでに現在地に描かれていますので、移されたのは江戸時代後期のことでしょう。
ところで、三春藩領の名所・旧跡をまとめた「松庭雑談」という史料には、次のような伝説が集録されています。
ある年、三春藩士秋田季賢が、狐田村の稲荷に願掛けをし、成就したそうです。
大みそか、季賢はその御礼参りをしたいと思っていましたが、藩の重役をしているために、とても参詣することができませんでした。
季賢は、何とか今年中に御礼をしなければと思い、狐田村までは行けないが、稲荷は一体であり分身が各地に祀られているのだから、守城稲荷に御礼をし、年明けに狐田に行くことと決め、守城稲荷にキジ一羽や卵を奉納し、御礼をして帰ってきました。
元旦の朝、通りがかりに守城稲荷を見たところ、奉納した物が一つもなかったため、夜中に犬が取っていったのだろうと思いつつ、二日の日には早々に狐田村へ参詣しました。
すると、自分が守城稲荷に奉納したキジと卵が狐田稲荷の神前にあったのです。
これにより、守城・狐田稲荷の神徳は増し、多くの人に尊ばれたそうです。