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春陽の士10 士格の医師たち|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

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春陽の士 10

士格の医師たち

薬の調合用具
薬の調合用具

江戸時代は、身分制度が厳格に守られた時代です。
そんな中で、一種の聖職である医者は、医学を学んでそれを修得すれば誰でもなることができる特殊な階級で、町医師として評判が上がれば、藩や幕府のお抱え医師となり、さらに士格を得ることができました。
このため、扶持を失った浪人や家督を継げない二・三男、さらに町人たちも、身分的拘束の少ない医者を目指しました。

三春藩士の医師・藩医は、19世紀初頭の段階で15名はいました。
藩医の主な仕事は藩主一家の医療なので、藩主との個人的な関係が深くなります。
このため、藩主の好き嫌いで、重用されたり追放されたり、出奔する者も多かったようです。
同段階ですでに三春を去った医師は13家あり、また、医師で仕官して、その後普通の藩士となった家も4家あり、一般の藩士と比べると出入りが激しかったようです。

三春の藩医で他藩から仕官したのは、三宅氏が長門毛利家、佐川氏が信濃真田家、村上氏が肥後加藤家、渡辺氏が越後松平家、所氏が下総土井家、坂本氏が若狭酒井家などです。
そして、久貝氏は旗本の二男、吉井氏は三春藩士松原氏の二男で、仕官のために医学を学んだようです。
また、三輪氏は徒士として三代仕えた後に、四代目が医師となりました。
他の多くは、城下の町医からの登用です。

当時の一般的な医師は、薬を処方して治療する薬師でしたが、渡辺氏は鍼術、村上氏は初代が内科、二・三代は外科の専門医でした。

(2006年1月 平田 禎文)

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