守山藩と旗本秋田氏|Web資料館|三春町歴史民俗資料館
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守山藩と旗本秋田氏
三春町といえば三春藩と誰もが考えますが、実は元禄13(1700)年9月以降、現在の三春町には、三春藩・守山藩・旗本秋田氏の領地が存在し、明治維新に至ったのです。
三春藩の歴史については、『三春町史』をはじめいろいろな本に出てきますし、歴史民俗資料館の展示でも幾度か取り上げましたので、みなさんもご存知のことと思います。
そこで今回は、守山藩と旗本秋田氏の領地について、簡単にご紹介します。
守山藩は、元禄13年9月25日、松平頼貞が2万石を拝領してできた藩です。
初代頼貞の父頼元は、水戸藩初代藩主徳川頼房(徳川家康の十一男)の四男で、水戸黄門として有名な徳川光圀の弟です。
つまり、守山藩初代藩主頼貞は、水戸黄門の甥にあたるのです。
領地は、現在の郡山市田村町守山に陣屋を置き、田村郡・田村市の一部や茨城県の一部にあり、現在の三春町域では、上舞木・下舞木・山田が含まれていました。
三春藩秋田氏初代俊季(としすえ)は、正保2(1645)年8月に三春藩5万5千石を拝領しましたが、慶安2(1649)年5月、二代盛季(もりすえ)が藩主になる時、このうち5千石を弟季久に与え、旗本秋田氏が生まれたのです。
なお、旗本とは、将軍徳川家の家臣で、1万石未満の領地を拝領した者のことをいいます。
旗本は江戸に住むこととなっていましたから、5千石秋田氏も江戸に屋敷を持ち、住んでいたのです。
領地は、現在の田村郡の中に与えられ、三春町域では、富沢が含まれていました。
三春町の歴史を語るとき、わたしたちはなんとなく三春藩の歴史で済ませてしまいますが、守山藩・旗本秋田氏の歴史を知らなければ、三春町の歴史は語られないのです。