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田村四十八館を歩く〔4〕-七草木館-|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

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田村四十八館を歩く〔4〕-七草木館-

御祭館から、さらに2キロほど北に行った七草木の集落の東で、東から西へ張り出した尾根の先端に七草木館跡があります。

眼下に小浜海道を望み、全体で東西約140m、南北60mほどの細長い館跡です。
山上の本丸は、やや東寄りで空堀により二つに分断され、周囲の帯郭とは3mから5mの高さの急な斜面により分けられています。
館下からの比高差は30mとあまり高くはありませんが、帯郭の下でも、特に北側は急斜面を削り出しており、安達方面と小浜海道に対する守りを堅固にしています。

七草木村は、鎌倉時代末には藤原姓田村氏の娘が地頭を勤めていました。
その代官は鎌倉幕府滅亡後に上洛し、後醍醐天皇の新政府に加わり、領地の安堵を受けています。
その後、彼女が相馬重胤に嫁いだため、七草木村は相馬領となったという記録が残されています。
このことから、七草木村は、当時の田村氏の動向を知る上でも重要な村ということができます。

(平田禎文)

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