中村寛亭の『富士図』|Web資料館|三春町歴史民俗資料館
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中村寛亭の『富士図』について
中村寛亭は幕末から明治にかけて活躍した三春藩の絵師です。
三春郷土人形館には寛亭の『富士図』が残されており、そこには富士山を挟んで、向かって左側に松、右側には飛翔する鶴が描かれています。
天保5年(1834)、寛亭は三春から京都まで旅行しており、その時に書いた道中記「御代参日誌」(個人蔵)によれば、三春を出発してから11日目の同年3月5日、吉原から見た風景について次のように書いています。
これ東海道一の美景 富士正面 足高山まで残りなく見ゆる 誠に日本一の名山 聞しに増さる高山也
寛亭はその時見た富士山に感動しスケッチしています。
スケッチには頂上から麓の家々まで描かれ、また、宝永山や足高山などの位置も記されており、これが寛亭の見た景色であることがうかがえます。
また、寛亭は翌6日に東海道をのぼり、三保の松原を見物しているので、『富士図』の中にも自身が目の当たりにした三保の松原を描き、実景に近い形として完成させたのでしょう。