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琴田岩松の政談演説会|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

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琴田岩松の政談演説会

三春町は、河野広中はじめ多くの自由民権運動家を輩出し、「自由民権発祥の地」として知られています。
そして、明治15(1882)年、福島県内各地で政談演説会が開催されました。
政談演説会とは、自由民権運動家が民衆を集め演説をするというものです。
自由民権運動を敵視していた福島県令三島通庸は、政談演説会を行う際、開催日時・演説者の氏名と演説の内容を警察署に届けさせる事前届出制を採りました。
また、政談演説会には警察官の立会いが義務づけられ、届出の内容から外れた場合、演説中止、会の解散ということもありました。
こうした状況から、自由民権運動家と警察官は常に喧嘩しているというイメージが強くあったと思います。
ここでは、明治15年における、三春の自由民権運動家琴田岩松(当時22歳)の演説活動に注目し、その実態を多分の想像を膨らませつつ、考えてみたいと思います。

琴田岩松
琴田岩松

岩松が演説する予定だった総数を『三春町史10 近・現代資料』から拾いあげてみると、〔1〕3月31日・4月1日、2回演説、〔2〕4月7日、1回演説、〔3〕4月8日、1回演説、〔4〕4月21日、1回演説、〔5〕4月22日、1回演説、〔6〕6月15日、1回演説、〔7〕7月8日、1回演説、〔8〕8月3日、1回演説となります。岩松は5ヶ月間で、計9回の演説を行う予定だったことがわかります。
〔1〕、〔2〕、〔6〕の岩松の演説で政談演説会は中止・解散になっています。
とくに〔6〕の演説によって、岩松は7月4日に福島県内で1年間演説を禁止させられました。
福島県内でこのような処分を受けた者は、岩松の他、三春出身の岡野知荘だけです。

このように、岩松は自らの演説により演説会を中止・解散させられても、懲りずに熱弁をふるっていたことがわかります。
〔7〕、〔8〕に関しては、福島県内での1年間の演説禁止後も、演説を続けることへの岩松の執念すら感じさせます。
また、警察官は岩松の演説の中止・会の解散を命じる一方で、間隔を空けずに岩松の演説を許すこと、さらに1年間の演説禁止後も岩松の演説を黙認していること、ここには自由民権運動家対警察官といった構図では理解できない状況だと思うのです。

とはいっても、これまで見てきたことは状況判断に過ぎず、史料的根拠が極めて乏しいのが事実であり、あくまで想像の域をでません。
「地元のやんちゃ坊主が今日は何をしでかすのか?」と困っている警察官の顔、また「あのやんちゃ坊主がおもしろいことを言ってくれそうだ!」と政談演説会での一悶着をあたかも舞台を見に行くかのような思いで足を運ぶ民衆、そうした期待にどのように答えようかと日々頭を巡らすやんちゃ坊主の岩松。
岩松の政談演説会の様子に思いを馳せながら、その風景は、案外、お祭り騒ぎにも似たものだったのかも、と思ってしまいます。

(安達 良平)   

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