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三春の歴史こぼれ話4 三春の怪異譚|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

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三春の怪異譚・・”こわい”話

150年前までは、三春町にもお城があって、お侍が町中を闊歩していました。
三春にも江戸期のお家騒動の話が伝わっており、そのため、猫語りをしたり、猫芝居をしてはならない、という話もあったのです。
お家騒動は、殿さまの世継ぎをめぐって起き、幼いお世継ぎを守るために奔走したお侍が切腹させられ、このお侍がかわいがっていた猫が化け猫となって、火をくわえて町の屋根屋根を走り回り、町内を焼き尽くす大火事となったというものです(史実とはだいぶ異なります)。

怖い話というのは、このように化け物などに襲われるというものが多いのですが、これよりももっと昔の戦国時代、本当にあったと思われる怖い話を紹介しましょう。

今から四百年ほど前、天正14年10月9日、三春城主であった田村清顕が突然亡くなりました。
なろうものなら戦場で、一人でも多くの敵将を倒してからと願っていたものが、畳の上で不自然な死を遂げたのでした。
清顕には、伊達政宗のもとに嫁いだ愛姫しか子どもがありませんでした。
つまりこの方は本当に、嗣子なきまま、無念のうちに亡くなってしまったことになるのです。

それはその後、いったい誰を三春城主とすればよいのかという混乱の始まりになります。城内の混乱が町内にも伝わったがごとく、しばらくすると町内に妖怪変化が出るとのうわさが広まり、夜出歩いていた女性がむごたらしく死んでいたことから、ついには昼間さえ一人で出歩くのを避けるようになる事態へと発展しました。

そのころ、伊達家からの使者として、一人の剛の者が三春へとやってきました。
彼は原田左馬之助宗時、人取橋の合戦や郡山合戦などでも戦い、武勇で知られた人でした。
さて、彼が三春へとたどり着くと、町にはひとけがなく、ようやく聞こえてきたのは次のような話でした。

「戦場で亡くならなかったことで、この世に心を残したままの田村殿の魂が、悪鬼となってさまよっていらっしゃる」

戦場では勇ましく、筆をとってもすばらしい文芸の才覚を見せていた清顕。
そのあっけない、悲しい最期がこのように町中で言われていることに、原田は愕然とするのでした。

「田村殿の亡霊など、主君政宗様が聞かれたらどのように憂えるだろう。まして、奥方、愛姫様が聞いたのなら、それこそどんなにつらく、悲しく思われるだろう」

原田はこうも考えました。
「亡霊とか悪鬼とか言っても、人をむごたらしく殺すようなやから、もしかしたら渡辺綱が退治した茨木童子のようなものかもしれない。姿があって、刀で切れるものならば、この原田、なにも怖れるものではない。切って退治してくれよう」

考えを巡らせた原田は、化け物が出るとされたあたりで、周囲が暗くなるのを待ちました。

さて、どのくらいたったものか、すっかり暗闇におおわれたころ、なにやら動くものの気配に原田は気づきました。
一つ、二つ、うごめくものは結構な数になりました。
これが町の人が言う悪鬼の正体に違いないと見極めた原田は、大音声を上げると、いきなり動く影に切りつけました。

なんと、亡霊や悪鬼と呼ばれたものの正体は人間で、化け物が出るとのうわさを逆手にとって狼藉をはたらく盗賊団だったのです。
原田はここぞとばかりに盗賊を倒し、翌朝、それを知った三春の人々は、今度は「さすが、あの原田よ」と噂しあったのです。

今も昔も、本当に怖いのは生きている人間だ、というお話です。

出典:奥羽永慶軍記

(1998年2月 藤井 典子)

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