秋田輝季と「家来の外出」|Web資料館|三春町歴史民俗資料館
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秋田輝季と「家来の外出」
磯田道史さんの著書『殿様の通信簿』は、「土芥寇讎記」という史料に記された、大名達の様子を紹介した本です。
残念ながら、磯田さんの著書に三春藩主は登場しないので、ここで紹介しましょう。
「土芥寇讎記」に記された三春藩主は、3代秋田輝季です。
そこには、輝季のことを次のように書いています。
輝季は生まれつき才知があり利発だ。父盛季は文武を学んだが、輝季は文武を学んでいない。しかし、仕置きは良い。ただし、何故かは分からないが、門の出入りが不自由だ。家臣が音信のために使いを送っても、便りが悪ければ一日中門前にいるしかない。気の毒なことだ。輝季は、勝手不如意だ。猿楽を異常に好むため、出費が多いためだ。その他に悪い事は無い。家臣の風俗は、田舎ぽくて良くない。
同史料では、この輝季の実情に対し、評価を載せています。
全体を紹介する余裕が無いので、一点だけ紹介します。
門の出入りが厳しい理由は分からない。おそらく、家臣達が他家の家臣と会えば宴会となり、お金を使うからだろう。また、他家の家臣と付き合って喧嘩や口論になるのを恐れたからだろう。さらには、主君の善悪、家中の風俗等を話さない者でなければ、他人と出会うことを許さないのだろう。もしこのような理由ならば、法の立て方もあるだろうに、何故か軽輩の者の出入りまで不自由にしておくのは頑なな考え方だ。
このように評価された輝季について、「秋之夜之夢噺」(個人蔵)に次の話しが載せられています。
ある時、江戸屋敷にいた輝季は、火事を見ようと火の見櫓に登りました。
「あの火事はどこだ」という輝季の問いに、答えられる家臣はいませんでした。
これを聞いた重臣秋田信行は、「外に出ることをお嫌いになるから、このようなことになるのです」と輝季に言いました。
これ以後、近習の人たちの外出が自由になったそうです。