田村四十八館を歩く〔5〕-富沢館-|Web資料館|三春町歴史民俗資料館
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田村四十八館を歩く〔5〕-富沢館-
富沢館跡は、県道本宮・常葉線沿いの字聖楽、比高差35mほどの小高い丘に立地しています。
「三春領古城絵図」には、城主富沢玄蕃の名が見られ、田村清顕死後の田村家中の結束を誓った田母神家に残る血判状にも東方要害のひとつとして、「富沢居館富沢伊賀」、
さらに伊達家臣片倉家に残された田村家家臣録にも、「北方与力五十騎」の大将として富沢伊賀守の名が連ねられていることから、
戦国末期まで機能し続けた数少ない館の一つだったことがわかります。
当時、五十騎以上の与力が駐留した館は田村領内全体でも13しかなく、さらに騎馬武者の数倍の足軽がいたと考えられますので、領内北東方向の要の館であり、山上の本丸はとても広い平場になっています。
また、天正16年に伊達政宗が三春城に滞在したときには、富沢衆とともに富沢の在郷衆もあいさつに訪れています。