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三春の歴史こぼれ話3 石田三成と三春|Web資料館|三春町歴史民俗資料館

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石田三成と三春

慶長5(1600)年9月に起こった関ヶ原の戦いで、徳川家康に敵対して敗北した石田三成をご存知の方は多いでしょう。
しかし、その三成が三春に来たことがあるとは、おそらく誰もご存知ではないと思います。

先日、たまたま『茨城県史料』に収録されている「秋田藩家蔵文書」という史料を見ていたところ、その中に次の書状が含まれていることに気づきました。

我等事、今日ミはるまて参候、明日ハミさかへ可参候、明後日十日ニハ  かならす其地へ可参候(中略)
                                治少
                         佐藤大すミ殿

最後の「治少」とは石田治部少輔三成のことで、意味は今日三春までやって来ており、明日は三坂(いわき市)まで行き、あさってには「佐藤大すみ」のところまで行く、というものです。

この書状の出された年月は、おそらく天正18(1590)年のことと思われます。
そして、三成が三春にやって来たのは、天正18年の豊臣秀吉による奥羽仕置きに際して、岩城氏の処置をするために経由しただけと思われ、三春で具体的になにをしたかは分かりません。

今後さらに調査を進めていきますが、新たな発見があればみなさんにお知らせしたいと思います。

なお、この史料については、『三春城と城下町』(平成10年度特別展図録)に収録してあります。

(1998年1月 藤井 康)

 ※ 平成10年度特別展図録につきましては、品切れとなっております。館内のみであれば閲覧可能です。カウンターでお申し出ください。

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