三春の文化財5 八雲神社の長獅子舞|歴民コラム|三春町歴史民俗資料館
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歴民コラム
三春の文化財5 八雲神社の長獅子舞
三春町には田村大元神社、八幡神社そして八雲神社の三社に長獅子と呼ばれる獅子舞が奉納されています。
三春の人が他の地域の獅子舞を見ると、何か違う、と思われるのではないでしょうか。
八雲神社に絞って、お獅子の違いを見てみましょう。
全国的に見られる獅子舞は、一人立ちといって、一人で頭(かしら)をつけて舞うものか、二人立ちといって、獅子の頭と体を担当する二人で舞うものであることが多いのです。
中には大獅子など、たくさんの人が入って演じるものもありますが、三春のように10人からの人が入って演じる、というのは珍しいものなのです。
さらに、八雲神社の長獅子が「荒獅子」と呼ばれることでわかるように、勇壮に舞いつつ、あの階段を上り下りして演じるようなことも、なかなか見られないことのようです。
もう一つおまけに、獅子に頭を食べてもらうと頭痛がしないとか、病気をしないと言いますが、この慣習は、東北地方に多いとも言います。
三春の長獅子の由来は不明ですが、もともと東北地方の獅子舞には、単なる芸能とは一線を画し、山岳信仰に由来して、神様の力で魔を払い、場を清めると考えられたものがあったそうです。
そうした獅子舞には、一人立ちの獅子を大勢で演じるものもあり、三春の場合、それが長獅子へと変貌を遂げた、とも考えられます。
また、八雲神社の場合、領内の流行病に際し、田村義顕が祇園社(京都の八坂神社)で「生水を飲まず、きゅうりを食べて渇きを癒せ」というご神託を受け、その通りにすると病が消えた、と伝えます。
実は、同じような話は各地にあり、それらは牛頭天王の社に伝わります。
明治以前、八雲神社はこの牛頭天王という神様を祀っていました。
これは「祇園信仰」とも呼ばれ、その布教者たちは、神の力の表れとして、獅子舞を行っていたそうです。
恐ろしい病を払うその力を信じて、人々は獅子に頭を下げたのかもしれません。
山の神への信仰か、京都からの伝播か。お獅子の歴史にも心ひかれるものがあります。
(2020年8月)
八雲神社の長獅子舞