三春の文化財6 三春城|歴民コラム|三春町歴史民俗資料館
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歴民コラム
三春の文化財6 三春城
三春城は、永正元(1504)年に戦国大名の田村義顕(たむらよしあき)が築いたと伝えられ、義顕が入城した朝、城の上空を鶴が舞ったので「舞鶴城」とも呼ばれるようになったと言われています。
急峻な岩山の上に築かれた三春城は、容易には攻めがたい要害堅固な山城でした。
田村氏が改易されると、会津に入った蒲生氏の支城として本丸に石垣が築かれました。
寛永4(1628)年、松下長綱が三春藩主になると城の改修を行い、山頂部の本丸には城主の御殿のほかに、三階の櫓や二階建の表門や裏門といった白い漆喰壁に黒い瓦を葺いた高所建築物が建てられ、江戸時代らしい城が整備されました。
正保2(1645)年に、秋田俊季(あきたとしすえ)が5万5千石で三春藩主となると、現在の三春小学校に御殿(居屋敷)を建設し、そこを日常の政務と暮らしの場とし、本丸御殿は儀式のときにだけ使うようになりました。
写真は、『諸街道絵図』の三春の部分です。
原本は宝暦5(1755)年に成立し、複数の写しが存在することがわかっていますが、ここには三春城の近くを鶴が舞っている様子が描かれています。
現在、常設展示室で展示中ですので、ぜひご覧ください。
(2020年9月)
諸街道絵図(館蔵)