三春の文化財10 藩講所明徳堂表門|歴民コラム|三春町歴史民俗資料館
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歴民コラム
三春の文化財10 藩講所明徳堂表門
町民から「明徳門」の名称で親しまれている三春小学校の校門は、もともとは三春藩の学校の表門だったものです。
藩校は「講所」と呼ばれ、門に掲げてある額の「明徳堂」とは校内の講堂(勉学をする場所)の呼び名でした。
また、当時は現在のような男女共学ではなく、講所に通えるのは三春藩士の男子に限られていました。
講所は天明元(1781)年に現在の三春町福祉会館の場所に建てられました。
しかし、天明5(1785)年に城下のほとんどが焼けた火災で講所も焼失し、その後、役場新庁舎が建設されている場所に再建されました。
明治時代になると講所は廃止され、師範学校や三春小学校分教場、自由民権運動の学塾である正道館などとして使用されました。
昭和時代には、公会堂建設のため元講所の建物は取り壊されましたが、表門は銅板葺きとなって残されました。
その後、昭和22(1947)年、同地に三春警察署が建てられるのに伴い、表門は現在地に移転されました。
藩講所明徳堂表門は、江戸時代から現代に至るまで教育の場の象徴となっています。
(2021年1月)