美正神社|歴民コラム|三春町歴史民俗資料館
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歴民コラム
在りし日の美正神社
「七月廿五日より廿七日迄三日の間、並松頭建臣霊神祭之」
これは、明治4年に書かれた史料『思いつき集め草』の一節です。
旧暦7月25日から27日までの3日間、並松坂頂上付近の建臣霊神すなわち美正神社で行われた祭を指しています。
この霊神である美正貫一郎(みしょうかんいちろう)(諱(いみな)は建臣)とは、戊辰戦争の際に土佐の断金隊長として、三春を無血開城に導いた人物です。
しかし、三春開城の翌日、二本松を目指して阿武隈川を渡る途中、敵の銃撃に遭い7月27日に25才の若さで亡くなりました。
戦死した美正に対し、三春の人々はその恩に感謝して美正神社を建立し、毎年この日を祭日と定めて慰霊をしたそうです。
冒頭の史料には、祭りの3日間は昼夜花火を奉納し、人々はちょうちんを持って山に集まり、道中では”ぢんく踊り”(甚句踊り)をし、「是程賑敷群集覚も無之」とあるように、大変な賑わいを見せたようでした。
しかしながら、後世、神社は廃社となったため現在に伝わっておらず、所在地も定かではありません。
ところが昨年、当時の美正神社の様子が描かれた掛軸が、高知県護国神社に伝わっていることがわかりました。
護国神社でも、どういった経緯で掛軸が奉納されたのか理由は判然とはしないようですが、在りし日の神社の様子を伺うことができる資料です。
(2019年8月)
高知県護国神社蔵(部分)