徳田研山好展筆馬図|歴民コラム 収蔵資料紹介編2|三春町歴史民俗資料館
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歴民コラム
徳田研山好展筆馬図
江戸時代から明治にかけて、田村地方では徳田研山(初代が好時、二代が好展)が馬の絵で知られました。
三春大神宮の白馬像制作を指導したのは二代目の好展で、彼は駿馬を手本にさせたと言います。
江戸時代、三春は馬産地として知られ、多くの馬がせり売りされました。
これは藩の制度によるもので、藩は良い種馬を保有し、農家に貸し付けて仔馬を得たのです。
しかし、明治維新後、この制度がなくなると、種馬は速やかに売り払われました。
好展は、このままでは産馬がすたれる、新しい制度を作るべきと県に訴えますが、受け付けられません。
しかし、明治7年、岩瀬や安積地区の産馬奨励のため、須賀川に産馬会社が設立されます。
携わったのは、須賀川で県立病院建設(現在の公立岩瀬病院)や土地開発、農業(ジャガイモづくりを広めた)に関して功績のあった橋本伝右衛門です。
翌年、この会社は「福島県産馬会社」となり、明治9年に現在の形の福島県が成立すると、改めて福島県一円での産馬保護・奨励を目指して、明治11年、福島県産馬会社が成立したのです。
この時、橋本伝右衛門に次いで社長となったのが、三春出身の影山正博でした。
この絵は、産馬会社の社屋を飾っていたと考えられます。産馬会社の設立を祝う、研山らの喜びが伝わるようです。
本資料は、橋本伝右衛門の子孫の方から、昨年寄贈いただいたものですが、本紙が縦1.5、横1.7mという大きさであるため、いずれ企画展などで紹介したいと考えています。
(2023年2月 藤井典子)