熊田嘉膳拝領大日本史|歴民コラム 収蔵資料紹介編11|三春町歴史民俗資料館
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歴民コラム
熊田嘉膳(くまだかぜん)拝領大日本史
写令和6年は、水戸藩が那珂湊の反射炉建設を開始してから170年の節目の年です。
幕末、たび重なる異国船の襲来に、水戸藩9代藩主・徳川斉昭は海防強化を進めますが、青銅製の大砲が役に立たず、鉄製の大砲鋳造を考えるようになります。
このとき、水戸藩士・藤田東湖によって斉昭に紹介されたのが、三春藩の熊田淑軒(三春藩医で、志願して異国船の視察などに出ていました)です。
熊田は盛岡藩の大島高任、薩摩藩の竹下清右衛門とを紹介し、三人は反射炉築造に力を貸しました。
『大日本史』は、水戸藩が編纂していた書物ですが、熊田が水戸から三春へ戻るにあたり拝領しており、2箱に収められています。
箱の蓋には、この二箱と白銀を賜ったと書かれています(代替わりして、水戸10代藩主の慶篤より拝領)。
三春藩の人間が、許可を得て水戸藩まで出向き、当時最先端の技術だった反射炉建設に携わったということが、事実であることの証拠ともなる、重要な資料です。
(2023年12月 藤井典子)