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御木沢村|歴民コラム 町村合併あれこれ 3|三春町歴史民俗資料館

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歴民コラムについて

 三春町歴史民俗資料館より、三春町の歴史や文化、ゆかりのある人物伝、資料館に収蔵されている資料などについて、コラムをお届けします。
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歴民コラム 町村合併あれこれ 3

御木沢村

明治22年、御祭村の「御」、七草木村の「木」、平沢村の「沢」をとって命名された、御木沢村が成立しました。
当時のいずれの村も同じですが、役場が設置されても、そこで仕事をする職員は、村長、助役、収入役、書記の4人ほどで、余裕がある町村でも、使丁という職員を雇う程度でした。
つまり、村長であっても、国や県の監督のもと、定められた仕事を実行する職員でしかない時代でした。

明治22年当時、職員数が最も少なかったのは、御木沢・要田・沢石の3村で、特に御木沢と沢石は人口・戸数ともに少なく、明治22年に行われた、県の町村制実施後の報告では、「(御木沢村は)職員は仕事に励んでいるが、村予算の増加を恐れ、節約に励んで書記も置かず、臨時雇いなどをして事務に当たっている」と、人件費を削り、村の支出を抑えていることが指摘されています。

御木沢村役場は、田村郡役所への定期報告の控えを保存しています。
写真1の簿冊を見ていくと、明治40年代頃には、御木沢村ではまだ、畜産の大半を馬が占めていたことがわかります。
写真2は時代が下りますが、大正8年のひでり被害の際、米の不作により納税ができないと、郡山税務署へ届け出た書類の控えです。
実はこの大正8年頃というのは、米騒動などが起きた異常な物価高騰のさなかで、納税できなくなる前に、御木沢村役場が免除に向けて動いていたようです。
明治33年の県の巡視では、御木沢村には税の滞納がないと、巡視者は驚きをもって報告していますが、その後も、時局に応じた対策が続いていたのでしょう。

(2025年6月)

明治44年家畜数報告(向かって右から牛・馬・豚)写真1:明治44年家畜数報告(向かって右から牛・馬・豚)

収穫皆無地租免願 明治23年3月沢石村会議事録 写真2:収穫皆無地租免願

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