本文までスキップする

岩江村|歴民コラム 町村合併あれこれ 7|三春町歴史民俗資料館

印刷

歴民コラムについて

 三春町歴史民俗資料館より、三春町の歴史や文化、ゆかりのある人物伝、資料館に収蔵されている資料などについて、コラムをお届けします。
 ※掲載している情報はコラム執筆時点のものです。

 一覧は、こちらをご覧ください。 

歴民コラム 町村合併あれこれ 7

岩江村

なにげなく「岩江村」としていますが、昭和33年に書かれた『岩江村の全貌』という本には、「巌江村」が正式な名称とあります。

明治22年に十二村(山田・上舞木・下舞木・白岩・下白岩・芹沢・根木屋・安原・阿久津・横川・南小泉・北小泉)が合併すると、岩石を産する土地であり、大河のある村であることから村名をつける、となり、後に小泉村の初代村長となる後藤隆作が「巌作山妙音寺(堂坂にあった寺)」の巖を」と意見して「巌江村」になったと書かれています。
三春町史にこうした話は見当たらないので、貴重な記録です。

実は、岩江村は明治期の旧役場文書が最も少なく、ないと言っても過言ではないほどです。
昭和分はいくらかあるのですが、他の村と違って、明治27年に北小泉・南小泉の二村が分立して小泉村になるなど、複雑な成立過程をた
どっているため、このような状況になったと思われます。

福島県の報告では、田村郡でも一・二を争う大村、となっており、確かに合併後の県のデータでは195戸1232人だった人口が、昭和30年には838戸5918人と、屈指の伸びとなっています。
また当時は安原や阿久津など阿武隈川に面した村々があったため、舟運からくる収入もあり、村の資力は十分だったのでしょう。
しかし、福島県の報告はだいぶ難しい事態を伝えており、「大村にして旧十二ヶ村の合併なるを以て民意自ら一致する能(あたわ)ず」と、村の議会運営に困難を生じていることが記されています。
岩江村の歴代の指導者は公平性を失わず、難しい状況に対処していたようです。

(2025年10月)

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

お求めの情報が十分掲載されていましたか?
ページの構成や内容、表現は分かりやすいものでしたか?
この情報をすぐに見つけることができましたか?