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地方自治の目覚めと三春の人々|歴民コラム 町村合併あれこれ 11|三春町歴史民俗資料館

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歴民コラムについて

 三春町歴史民俗資料館より、三春町の歴史や文化、ゆかりのある人物伝、資料館に収蔵されている資料などについて、コラムをお届けします。
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歴民コラム 町村合併あれこれ 11

地方自治の目覚めと三春の人々

明治11年に「府県会規則」が施行されると、各地で府会・県会が開かれるようになりました。
しかし、明治2年に開拓使が置かれた北海道は、この「府県会規則」から除外されます。
明治19年になって北海道庁が設置されますが、道議会が開かれることはありませんでした。

北海道でも議会を開くべき、と考える人々は、明治24年から東京へ請願に出ました。
この時、北海道の代表に付き添ったのは、三春出身の自由民権運動家・岡野知荘でした。
岡野は、加波山事件で北海道の空知集治監に収監された、河野広躰らを追って北海道へ渡り、現在の小樽市内の埋め立て事業に従事しつつ、彼らへの差し入れなどに奔走しました。
その間に道議会開設の手伝いをすることになったようです。
明治34年になって、ようやく北海道会法が公布され、道議会が開かれるようになります。

一方、明治30年代にかけて、河野広中に替わって福島県議会で活躍していたのは、中妻村選出の県議会議員・大和田広治でした。
大和田広治は斎藤村に結成された不羈(ふき)社の中心的な役割を果たし、河野広中を支持して活動していました。
大和田は、地租(土地に対する税)の増額に賛成する山田知事と対立し、不信任案を突きつけます。
山田知事も一歩も退かず、県会を解散して応戦、解散後の選挙で再び選出された大和田は、再度山田知事に対して不信任案を提出します。
山田知事は群馬県に転出してしまい、この争いは決着を見ないままとなります。

立場も活動も異なる二人ですが、彼らの活躍から、この頃は各県や市町村等の合併も落ち着き始めた一方、地方議会のありかたをめぐり、大きく揺れ動いた時代であったと思われるのです。

(2026年1月)

岡野知荘 岡野知荘

大和田広治顕彰碑 大和田広治顕彰碑

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