本文までスキップする

三春町と中郷村と中妻村|歴民コラム 町村合併あれこれ 12|三春町歴史民俗資料館

印刷

歴民コラムについて

 三春町歴史民俗資料館より、三春町の歴史や文化、ゆかりのある人物伝、資料館に収蔵されている資料などについて、コラムをお届けします。
 ※掲載している情報はコラム執筆時点のものです。

 一覧は、こちらをご覧ください。 

歴民コラム 町村合併あれこれ 12

地方自治の目覚めと三春の人々

明治22年の町村合併で、三春町の合併はなかったのですが、その境界や飛地(とびち)については、だいぶ揉めるところもあったようです。
飛地とは、藩の所領が、あちこちに散在することを指す場合もありますが、この場合は本村と地続きではない、他の村の中に入り込んでしまった土地のことで、河川の氾濫で土地利用が変わってしまったり、新田開発等の結果、入り組んだ状態になったりして発生することがあります。
明治40年代に編纂された、三春町郷土史の説明では、「24年11月中郷村大字込木のうち番組頭・庚申坂・化粧坂・八方谷の一部の四字(あざ)を三春町に編入し、同時に三春町字沼ノ倉の一部を中妻村に、同栗林の一部を中郷村に組替え」となっており、すっきりと小字の組み替えがあったように書かれていますが、中郷村とは境界争いになっていました。

明治23年度の三春町役場事務報告を見ると、地理に関する事務という項目があり、三春町側の言い分ながら、細かな説明があります。
まず三春町から中郷村・中妻村へ飛地があり、中郷村から三春町への飛地もあるため、それらは所在する町村に組み替えようと手続きを行っていました。
しかし、三春町が主張する「中郷村大字楽内より当町字番組に飛地」は、中郷村からすると「楽内から番組に突出した土地は道路で接続しており、飛地ではない」また、明治21年の地図にも中郷分となっているから、逆に訂正してほしいと主張されます。
これに対して三春町側は、21年調整の地図が間違っているとしますが、両者は譲らず、明治23年12月、郡役所立ち会いのもと現地踏査が行われます。
24年6月、三春町より中郷村大字込木に通じる道路中、三春町字番組と中郷村大字楽内との境界に係る道路敷は、中郷村地内に属すると、田村郡役所は判断を下したのです。

※本コラムは、明治時代の状況を概説するもので、現在の、実際の土地利用等の状況とは異なる場合があります。

(2026年3月)

諸街道延絵図より 広(光)大寺~込木村~楽内笠松まで 諸街道延絵図より 広(光)大寺~込木村~楽内笠松まで

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

お求めの情報が十分掲載されていましたか?
ページの構成や内容、表現は分かりやすいものでしたか?
この情報をすぐに見つけることができましたか?