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沢石地区1|三春の地域と文化財(たからもの)3|三春町歴史民俗資料館

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歴民コラムについて

 三春町歴史民俗資料館より、三春町の歴史や文化、ゆかりのある人物伝、資料館に収蔵されている資料などについて、コラムをお届けします。
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三春の地域と文化財(たからもの)3

沢石地区1

沢石地区は、三春町の最も北に位置します。
江戸時代の富沢村と実沢村、青石村が、明治22年の町村制施行に際して合併し、各村名の「沢」と「石」をあわせた「沢石村」が誕生しました。

田村市の上移に発して安達郡へと流れる移川の中流域にあたり、西から北は本宮市(旧白沢村)、二本松市(旧新殿村)に接していることから、旧安達郡と交流が深い地区です。
ほかに、東は田村市(旧瀬川・文珠村)、南は要田地区を接しており、標高510mの町内最高所である念仏壇が、旧瀬川・文珠村との堺にあります。
さらに富沢は現在の三春町域では唯一、旗本五千石秋田家の領地であったこともあり、独特の歴史や文化が継承されています。
地区内は、富沢の東が実沢、実沢からおおよそ移川を隔てた北側が青石です。

沢石地区には、国指定重要文化財の民家である中山家住宅があるほか、町指定では、縄文時代後期の堂平住居跡(実沢堂平遺跡)や、戦国時代に田村氏が帝釈天に奉納した銅鏡や華鬘、銅鑼など高木神社の金工品、江戸時代に天日鷲神社に奉納された絵馬2面があります。
ほかに民俗芸能で、富沢太々神楽、高木神社と垢潜(火雷神社)の三匹獅子舞がありますが、残念ながら途絶えていたり、継承が難しい状態になっています。

堂平遺跡は、念仏壇へ続く高い尾根の上に、敷石住居跡と呼ばれる床面に石を敷きつめた特殊な住居を中心とした集落跡です。
昭和46年に畑の整備で急遽調査を実施することになったため、当時の沢石中学校の生徒や役場職員が発掘作業に動員されました。
発掘調査後、当時は敷石住居跡の調査例が少なく珍しかったこともあり、地域の皆さんの協力により、茅葺きの屋根を復元して遺構を保存し、子どもたちの教育の場として利用されました。
その後、何回か屋根の修復などを行いましたが、管理が難しくなり、現在は復元された建物は撤去され、敷石の遺構は土の中に保存されています。
このように永年、地域の方々に愛されてきた文化財であるため、何らかの形で復元されることが望まれています。

また、沢石地区には現在も水力発電所が2箇所で稼働しているほか、町内では珍しいゲンジボタルを含めたホタルの生息地が点在しており、そうした水環境や文化財を散策するようなイベントの提案もありました。

(2026年6月)

堂平遺跡 
堂平遺跡の発掘調査説明会の様子

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