沢石地区2|三春の地域と文化財(たからもの)4|三春町歴史民俗資料館
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三春町歴史民俗資料館より、三春町の歴史や文化、ゆかりのある人物伝、資料館に収蔵されている資料などについて、コラムをお届けします。
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三春の地域と文化財(たからもの)4
沢石地区2
沢石地区には現在、富沢に宝伝寺(曹洞宗)、実沢に瑞祥寺(曹洞宗)の2つの寺院があります。
このうち宝伝寺には、疱瘡観音と呼ばれる開山に関わる十一面観音像が、隣の観音堂に祀られていましたが、残念ながら本堂の仏像といっしょに盗難に遭い、この仏像はまだ帰ってきていません。
また、江戸時代の村の鎮守だった神社は、富沢が天日鷲神社、実沢が高木神社、青石が稲荷神社ですが、富沢地区を中心に古いいわれを伝える神社が現在もたくさん継承されています。
これは、江戸時代末期から明治前期に天日鷲神社の神職を勤めた飛田昭規の影響が強いと考えられます。
色が黒かったことから「黒祢宜」とも呼ばれた飛田は、幕末に江戸へ出て平田国学を学んで尊皇攘夷を唱え、戊辰戦争では三春藩に新政府への帰順を主張したため、捕らえられました。
維新後は神仏分離令から廃仏毀釈を進め、自由民権運動に反対し、皇居の賢所遙拝所の設立を求めて、最後は東京の牛込門で自害しました。
こうした飛田の教化もあり、沢石地区には神葬祭の家が多く、太々神楽も盛んに演じられました。
天日鷲神社には、藩の駒奉行などを勤め、馬の絵で有名な初代徳田研山(好時)が、文政9年(1826)に描いた中国風の武者絵の絵馬や、江戸で洋風絵画を極めた須賀川出身の画家・亜欧堂田善が、嘉永3年(1850)に江ノ島の風景を絹布に描いた泥絵など、珍しい絵馬が伝わっています。
田善の作品は、富沢村の領主である五千石秋田家が神社の改築工事の竣工を祝って奉納したもので、江戸の最新の文化を伝える資料です。
高木神社は、もともと三春城の鬼門を守る帝釈天を祀っていました。古くは田村氏の中興とされる田村輝定が貞治元年(1362)に奉納した銅鏡をはじめ、田村隆顕・清顕らが奉納した華鬘や銅鑼といった金工品のほか、江戸時代初期の会津藩主である蒲生秀行による50石の寄進状もあり、三春城を治めた歴代大名の信仰を集めました。
このほかたくさんの絵馬や句額とともに、明治時代に地元の佐久間徳治郎と伊東始メ松が、1枚に1問ずつ描いた算額が2枚奉納されています。
このほか、戦国時代末期に塩松(二本松市小浜)の大内氏との激戦が繰り返されたこともあり、沢石地区は富沢館、富沢古館、実沢館、実沢新館などたくさんの館跡が残されています。
(2026年7月)
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亜欧堂田善筆「江の島図」(天日鷲神社蔵)
田村輝定奉納銅鏡(高木神社蔵)