秋田謐季の墓所|Web資料館|三春町歴史民俗資料館
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秋田謐季(長季)の墓所
三春藩主秋田家の菩提寺は、龍穏院と高乾院です。
両寺の関係は「高乾院と龍穏院」をご覧いただくとして、そこで未詳とした、8代藩主秋田謐季の墓所がなぜ龍穏院にあるのかについて、新史料をご紹介しながら触れてみます。
秋田謐季は、文化8(1811)年7月6日、34歳の若さで亡くなり龍穏院に葬られました。
新しく発見した史料には、次のように書かれています。
○御遺骸葬
此度竜穏院江○導師申付候處、高乾院様御已来厚御主意も有之ニ付、龍穏院江は永年導師申付候例も無之候ニ付、高乾院院代可致心配候間、此度は例外之事候、已来は前々之通ニ相心得、此旨高乾院初住ニて不及心配様、院代より相傳可申候、右之通御意被 仰出候、
七月 年寄共
高乾院院代
福聚寺大信和尚
三春藩の家老が「御遺骸葬」と呼ぶのは殿様(あるいは隠居)の葬式しか考えられないこと、それを龍穏院へ申し付けたことが例外とされたこと、これ以後は前々のとおり高乾院に藩主等の葬式を任せることを通知したこと、差出しの日付が7月であることから、この史料は謐季の葬式に関る史料と確定できます。
以上から、謐季が龍穏院に葬られたのは、謐季死去の時、高乾院に住職がおらず、福聚寺が院代を勤めていたことと、龍穏院と高乾院の位置付けを充分認識していなかった藩の重役たちが、謐季の導師を龍穏院に申し付け、墓所を設けてしまったことに理由があると分かるのです。